Yoko's Graduate School Experience U.S.A.

中学校・高校で音楽と国語の教師を5年勤めた後、念願の留学が2005年に叶いました!これは彼女のアメリカ大学院生活の体験日記です。

Friday, October 20, 2006

国際人って何よ?



今週もおかげさまで無事終了!

でもって、来週は中間テスト週になってしまいました。

火曜日はリサーチのクラスのテスト
水曜日にペーパーを1つ提出。”教師をいかに評価するか”
木曜日は音楽史と楽曲分析のクラスのテスト&エッセイの締め切り日

やるしかない。


話は変わって、

”英語がしゃべれる人になりたい”ってのを実現したい。
と思っていたわけです、長い間。

英語がしゃべれるってことは国際人って気がするじゃないですか。

そもそも、この国際人っていう言葉があやしい。
具体的なようでかなり抽象的。
広く世界に開けた人間ってとこでしょうか。

でも、英語の国、アメリカにいて思います、

英語がしゃべれることと、国際人かどうかは全く別問題。

もちろん、英語が話せれば意思疎通できる規模がぐんと広がります。
でも、英語を話せる人がみんな国際人(開けた人間)ってわけじゃないんですよ、当然。

日本にいてもいろんな人がいるように、アメリカにもいろんな人がいる。
ただ、人数が多いだけに、開けた人間も多い。
さらにその人間の器の規模がでかい。

つまり、私が日本に普通に住んでて見かけることが出来なかったような
肝っ玉の大きい人間が、いきなり目の前に住んでたりするんですよね。

まあ、もちろん日本にもそういった方々がおられると思いますが、
そういう人と出会うチャンスが簡単に転がってはなかったのかも。。。

母国語以外の言葉を使うという生活をして初めて思うのですが、
母国語のみで生きていた自分とは全く違う領域が自分の中に広がったのを感じます。

何気ない道具の一つの言語ですが、
これ、かなり大きな存在です。

”え?英語話せないの?かわいそうに、この人馬鹿なのね。”って
単純明快な人に出くわします。
確かに、馬鹿なんですけど私は。 。。
表出しているものだけがその人じゃないのにね。
人の本質を知ろうなんて、ほんと難しいことだなあって思う。

・・・私、ちゃんと生徒達を知ろうとしてたかな。
日本語で意思疎通が出来た気になってたのかも・・・

今まで雑音でしかなかった、学校の食堂での人々の会話が意味のあるフレーズとして聞こえてきてる自分にふとそんなことを思ったりした。

とはいえ、意味のわかんない英語ともいえないものを話している私。
でも、「Yoko、いまなにいった?」ってきかれるってことは、
わたし、結構図々しく話してる?ってこと??

言葉とか、国籍とか、年齢とか、性別とか、あらゆるボーダーを越えて、
本質が見れる人になりたいなあ。

9 Comments:

  • At 12:42 PM, Blogger Megumi said…

    Yokoちゃんのルーミーとかかなり国際人だと思うなぁ。色んな意味で。

    英語を話すようになって自分でも気付かなかった領域が自分の中に広がった、っていうの同感です。なんか二つ人格があるような・・・。どっちがいいというわけではないんやけど。

    通じるコミュニケーションの80%ぐらいは、文法でも発音でも単語でもなく、気合でできていると思います。

    「これ!」とか「それ!」とか、「なんやったかなー、ほら、アレやんか、アレ!」とか。

     
  • At 3:14 PM, Anonymous Anonymous said…

    陽子さん、
    私もここアメリカに10年以上いますが、英語はまだまだです。私も”英語話せない=頭悪い”の方程式でどのくらい差別された事か。でも一度、日本人は数学ができるということで、これを覆す事ができたことがあります。

    IU Bloomington の アパートに居た時の事ですが、となりのアメリカ人があまりにも数学(中学程度のもの)ができず、20点(100点満点)のテストが台所のゴミ箱に捨ててありました。
    大学院に行くのだと言っていたのにこれでは、GREもままならず、見るに見かねて教えてあげると、彼女の中の”英語が話せない=頭悪い”意識は薄れたようでした。人の評価はそう単純なものではない事を知ってもらったと思います。

    陽子さんの場合は素晴らしい音楽の才能がある訳で、英語が堪能でなくても立派に他国の人と国際人として交流していると思いますよ。語学は後からついてきます、このまま頑張って下さい。

     
  • At 7:14 PM, Blogger Yoko said…

    めぐんちゃん、
    そうなのよね、うちのルーミーは奥が深いよ。なんせ、カナダの国境にさしかかったとたん、カナダなまりの英語に変身!かと思えば、100%アフリカンだと言い張って、アフリカなまりの英語で踊りまくるし。多分、今後どんな人と住んでも、こんなに楽しいと思わせる女性はいないと思う。私も気合いと楽しむ感覚で行くわ。

    こず江さん、
    ありがとうございます。うれしいです。ここに来て、人々が何言ってるかわからないぶん、表情や、雰囲気、語尾や声色で文脈を追う能力かなりついたと思います。かなりスローーーーーなわたしの英語の上達度ですが、いくら遅くても、必ず上昇してるって思って、くじけずいきたいと思います。音楽にこんなに助けてもらうことになるとは思いませんでした。なにせ、日本では隠れ音楽教師でしたから。”芸術家の先生って感じじゃない”といわれてました。よく、体育の先生に間違われました。なぜ?

     
  • At 12:36 PM, Anonymous Anonymous said…

    「表出しているものだけがその人じゃないのにね。」

    本当にそうでございます。まぁ見たり聞いたりしてわかる部分だけ、人を判断しがちかもしれないけど。その向こうの見えない部分に対しての想像力や理解度が高まるって事が、真の「国際人」になることかもしれんです。まだまだ私は修行が足りんわ。単に「国際人☆ショー」が好きなだけよん。

    母語を剥ぎ取られるって、単に不自由なだけじゃなく、不安で不自然な状態に自分を晒す経験だよね。また言葉じゃなくても、不得意分野に一人置かれる、って状況にも似ているかも。「これが私の全てと思うなよ!」みたいな。まぁ、変なプライドを打ち砕かれるという効果もあるので、たまにはいいんですけど。

     
  • At 9:42 AM, Blogger Yoko said…

    自称、エセ国際人さん、
    変なプライド・・・そうねえ、自分でも気づき手なかった自分のプライドの形が見えたとでもいいましょうか。ま、はっきり言ってしまえば、格好つけていたいわけですよ。でも、つけられません。つくろうことさえ仕方がよくわからんからな。。。とはいえ、私はいつ挙動不審人物じゃなくなるのだろうか。

     
  • At 10:22 AM, Anonymous Anonymous said…

    あー、この手のネタには書くことが尽きないわ。。。

    最近読んでいた本「ことばと国家」(by 田中勝彦)で、まさにぴったり!な部分があったので引用させて頂きやす。(長いですけど)これは白人と彼等に征服された土地の人達の間にできたピジン語についての文章ですが、英語を学ぶ人が英語圏で晒される状況に、似ーてーいーるー! 

    「しかし土着の言語の発音と文法的特性はしぶとく維持されるから、このような言葉は、白人の側からみれば、自分達の言語をまねしそこなった、出来損ないのことばということになる。(中略)しかし白人は、双方のことばが大変違っていて、相手のことばを真似ることがいかに難しいかなどとは思いもよらず、この連中は、まともなことばもしゃべれない、頭の弱い人間なのだと早合点してしまう。そこで白人側は、ちょうど大人が子供にはなしかけるみたいに、なるべく単純で短い文章で用をすませる。聞くほうは聞くほうで、それが白人たちのことばそのものだと思い込んでそのまま単純に話す。つまり、白人達からの歩みよりというのは、大人が子供に向かっての歩みよりと同じ性質のものになる。」

    この本によると、古代ギリシャ人は自分達のことばだけがことばだと思っていて、多言語を話す人達を「バルバロイ=どもり屋」と呼んでいたらしい。昔はロシア人も他国人を「ネーメツ=おし」などと呼んでいたらしく、ずいぶん失礼なやっちゃ!また、あのマッカーサーの発言、「日本人の精神年齢は12歳」についても「白人がピジンを通じてドジンの言語能力について抱いた印象を述べる、伝統的な言い方を繰り返したにすぎない。」とありました。歴史は繰り返すのかね。。。国際人になるってことは、こういう言語ナショナリスティックなプライドと無知・無関心にもとずく偏見を出来るだけ減らすってことだと思うのだ。

     
  • At 5:35 PM, Blogger Yoko said…

    自作自演型☆国際人さん、
    さすがに専門家ですな。

    >国際人になるってことは、こういう言語ナショナリスティックなプライドと無知・無関心にもとずく偏見を出来るだけ減らすってことだと思うのだ。

    本当にそうだと思う。
    でも、これ、何人であっても何語であっても、自分が物事の中心でしか捉えられないと誰でも陥る現象だよね。
    気がつけてよかったわ。
    そのような偏見に基づいて、時々、「私ってかなりナメられてるな」と頭に来ることもあるけど、ま、そういうことが気づける人間になれてよかったわ。

     
  • At 9:20 AM, Blogger Robyn said…

    Yoko,
    ブログが進化して哲学的な領域に入って来たね!一年前と今のYOKOはいろんな意味で変わったね。またいつか自分の生徒を教えるようになった時に、この経験がどれほど大きな力になることだろう。新しい経験をすればするほど、自分の小ささとか力なさを身にしみて感じて、きっとそれが自分を大きくしてくれるんだろうね。留学生活、大変なこといっぱいだと思うけれど、応援してるからね。

     
  • At 5:31 PM, Blogger Yoko said…

    Robyn,
    ありがとう!
    毎日が勢いで生き抜いていく!という経験です。異文化で生活したいという私の10年越しの夢は、なかなか歯ごたえのあるものです。でも、自分が確実に耕されていってるって思う。大変といいつつ、たくさんの人が支えてくれてて、ほんと、私って幸せ者だと思うわ。磨かれて帰るから、楽しみにしておいてね。

     

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