Yoko's Graduate School Experience U.S.A.

中学校・高校で音楽と国語の教師を5年勤めた後、念願の留学が2005年に叶いました!これは彼女のアメリカ大学院生活の体験日記です。

Friday, January 25, 2008

事実がうまく理解できないでいる

新卒で就職したときの校長先生が金曜日の朝なくなった。
多分50代前半だったと思う。



私が高校生のときは数学、物理の先生だった。


熱血教師だった。




就職する前、
わざわざ大学生の私に会いに茨城から飛行機できてくれた。

「教師になって一緒に働こう」って。

「ここは、んー、なんにもないとこだな。」
ともいった。


私が留学するときにもいろいろお世話になった。

留学する前の年、
父とかなりもめた。

当時、
韓国に日本語教師として派遣されることが決まっていた私は、
それが白紙になってしまい、
途方にくれていた。

「お前なあ、お父さんとの話し合いがなさ過ぎるんだよ。
 広島に転勤にするから、
 よく話し合って来い。」

そして、翌年、留学に再びシフトしたわけだ。



先生も留学経験があって、
しかも、Andrewsではマスターをとられたようだった。

「非常にすばらしい大学だよ、
 俺は寒すぎてもう2度と行かないけどな。」

「俺が、キャンパスの木の剪定(せんてい)したんだぞ。」
(だから何なんですか、と思わず突っ込んでしまった)

といっていた。


去年の夏、日本に帰ったときに、
たまたま広島に来られてた先生から電話があった。

「おい、帰ってるんだって?
 金曜日の夕方1時間くらい空けるから、 
 運転して学校来いよ、話そうよ。」

がんの治療のため、明らかにその副作用が体の外側に現れてた。

「こういう見た目だからさ、
 みんなが俺のこと死ぬんじゃないかって思うんだよ。
 俺は、元気になって、もう一回数学を生徒に教えたいんだ。」

っていってた。

やさしいことなんて1度もいわれたことがなかったのに、

「留学よくがんばったな、ゴールが見えたってことがすばらしい。
 一緒に祈らせてくれ。」

「先生、そういう風に妙に優しいと気持ち悪いじゃないですか」
っていってしまった。

おそらく、先生、余命を知ってたね。
これで最後かもしれないって思って接してくれてたと思う。

私が高校生のときから
「今夜、神様が来られてもいいように生きてる」
っていってた。


先生がなくなられた今日は、
高校の卒業式。
金曜日の献身会での説教は先生の担当だったそうだ。
前日まで学校側は航空券をキャンセルしないでいたそうだ。

**教頭からのメールを繰り返して読んでたら、
最後までこの説教をしようとしていたのは先生で、
キャンセルに待ったをかけていたようだ。
「最後まであきらめない人だった」と教頭。
すでに面会謝絶の状況でありながらのことだ。




献身会では、
4日前に先生が書かれてた
「卒業生に向けてのメッセージ」を代読されたそうだ。


さすがだな、先生。
教師が天職だった人と働いてたんだよ、私。


いろんなことが思い出されて、
寝ることができなかった。


先生のご冥福とご家族のために祈ります。

8 Comments:

  • At 12:22 PM, Blogger Megumi said…

    校長先生、立派に凱旋されたね。最後まで先生でいらっしゃったと読んで、与えられたCallingに忠実に応えるというのはこういうことかと思った。

    事実がうまく理解できないというの、よく分かる。

    残された人達の上に平安と慰めがありますように。

     
  • At 4:21 PM, Anonymous Anonymous said…

    個人的にはクラスを取った事もないし、
    担任の先生になったわけでもないけど、
    えこひいきもしないいつも生徒とフランクに
    会話する先生だった印象がある。

    うちの学年は高3の時男子の1/3が
    停学で卒業式もいないなんていう状態だったし、
    天野先生の担任していた確か3Bクラスも悪い奴ら
    が(自分も3Aでその悪い奴らの一人だったけど)
    沢山いた中でいつも熱く諦めずに生徒たちに
    語りかけていたっけ。

    天野先生の子供たちとこの間までアメリカで
    一緒だったからよけいに残された彼らの事が
    気になっている。

    また天国で会えるね。

    残された私たちが三育のために出来る事を
    やれたらきっと天野先生は喜ぶだろうなって
    思う。

     
  • At 4:30 PM, Anonymous Anonymous said…

    立派な人だったなぁ。その先生。

     
  • At 12:06 AM, Anonymous Anonymous said…

    めぐさん、
    先生の話をきいてると、どんな生徒も不思議と「自分もできるかも、がんばろう」って気にさせちゃうからすごいなと思ってた。これ、先生に託されたギフトだね。

    「この俺もできたんだから、お前も大学院できるよ、そんなモンだよ」っていってた。

    一緒にダイエットしたこととか、よくおいしいものを食べに連れてってもらったこととか、、、

    これからのこと、話聞いてもらいたかったけど、4月からがんばるわ。

    Anonymous、
    先生って、いわゆるその「悪い奴ら」からえらく慕われてた。生徒も教師も先生と話がしたくて、校長になって出張がちな先生はいつも人に囲まれてた。よく体力が続くなあと感心してました。

    毎朝奥さんと早朝の散歩は欠かさずしてたし、校長なのに、クラス教えてたり、サッカーの試合ってなったら生徒より燃えてたしね。太く、熱く、短く。。。

    わざと意地悪いことを言って、こどもみたいに笑ってるその顔ばかりが浮かんでくる。

    Yukimasa-san,
    いち生徒兼、部下(同僚)として、先生の生き方を見せていただけてよかった。すごい人だった。

     
  • At 1:04 PM, Blogger LunaLuna said…

    本当に立派な先生だったんですね。
    突然のお別れは本当に受け入れがたい辛さだと
    思いますがこんなにも素晴らしい先生と
    出会えた奇跡に感謝していつの日か天国で
    再会出来ることを信じています。
    春からは最後まで教壇へ復帰することを
    願っていた先生の分も希望を持って教育者として
    歩んで行くことが出来ますようにお祈りしています。

     
  • At 9:51 PM, Anonymous Anonymous said…

    Lunalunaさん、
    ありがとうございます。
    気の引き締まる思いがした。
    いつも、先生が、
    「俺らの仕事は、今日明日の結果が出るものじゃない、目の前の生徒の10年後を想像しながら仕事をするんだ。」
    といっていた。

    本当にそうだと思う。
    そういう仕事をしたいと思うよ。

     
  • At 1:43 AM, Anonymous Anonymous said…

    高校のとき先生が「毎朝、どういう死に方をしようか」と考えて一日を始めてるって言っていたのが印象的だった。どういう死に方をするか考えることによって、どういう生き方をするか本気で考えられるからって。いつ死んでもいいように、毎日悔いのない日を生きてるって言ってたよね。

    もうひとつ印象に残っているのが、「絶対」ってありえないと言っていたこと。「絶対に無理」というのも、「絶対に大丈夫」ってのもあり得ないんだって。だから自分は「絶対」って言葉は使わないと。

    先生は今まで育てた何千もの生徒と教師の心の中でこれからも生き続けると思う。先生みたいに、生徒のよりどころになって、同僚からも頼られる、そんな先生がこれからも増えてくれるといいね。

     
  • At 2:23 PM, Anonymous Anonymous said…

    Robyn,
    そうだったね。
    先生が私たちの心に植えていった種は、確実に私達の中で育っていってるって思う。

    いつも、前のめりな感じで歩いてたけど、先生、生き急ぎすぎよ。

     

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