Yoko's Graduate School Experience U.S.A.

中学校・高校で音楽と国語の教師を5年勤めた後、念願の留学が2005年に叶いました!これは彼女のアメリカ大学院生活の体験日記です。

Friday, February 23, 2007

無言歌 Song without words


授業の中で
メンデルスゾーンのピアノ小品集、
Song without wordsが取り上げられた。
旋律がなんとも美しく、歌が聞こえてくる感じの曲で、
発表会なんかでもよく聴く。

ロマン派の音楽家の中に大雑把に2つの流れがあって、

1.具体的な題名を曲に与えることで、
  曲を具体的にイメージしやすくした人たち

2.音楽というのはあくまで抽象的なもので、
  メンデルスゾーンのように、言葉はあえて付けない

という派閥があったようだ。

メンデルスゾーン自身が
彼の強烈なファンからの手紙に、こんな風に応えている。

”そもそも、
 言葉というのは受け取る人によってイメージが違う、
 非常にあいまいなものだ。
 僕はこういう理由で標題を付けることがほとんどないのだ。”



大学時代、宮沢賢治の詩の研究の授業で、
この詩がどこまでリアリティーを持ったものなのか、
当時の気象庁のデーターを取り寄せて調べたことがあった。
彼の詩、幻覚のような言葉で埋められているように見えて、
実はきっちり事実にはまっている。

これをプレゼンした時、
教授が、

目に見えているものは万人共通の風景じゃないよね。
おなじものを見ていると思いこんでるだけ。
それぞれ個人の世界の中で生きていて、
共有できるものはそんなに多くない。

言葉で表さないから無限の広がりを持つ。
見えてる世界が見ている人の数だけの風景を持つ。

言葉の持つ相反する性質。

それと音楽が融合したロマン派の時代。

今度私は吹く曲は、このロマン派に属する曲です。
オペラと違って、器楽には言葉はないけど、
メロドラマティックなストーリーを感じます。

言葉をこえて、音楽自体が言葉になるといいな。

4 Comments:

  • At 7:43 PM, Anonymous Anonymous said…

    「言葉というのは受け取る人によってイメージが違う、非常にあいまいなものだ。」

    「それぞれ個人の世界の中で生きていて、
    共有できるものはそんなに多くない。」

    本当にそうですなぁ。言葉一つ一つには辞書に載ってるような定義が一応あって、その意味を限定しようとするけれど、その標準的定義に必ずしも固定されないメタ・メッセージがあり、その受け取り方は人によって違う...それはメッセージの発信者の意図によっても縛られない...んだよね。

    題名のない音楽、名前のまだない赤ん坊、言葉の通じない詩、それぞれが確かに生きていて何かを伝える...言葉を超えるものがあるとわかるのもまた、有限な言葉があるからこそ...

     
  • At 7:44 PM, Anonymous Anonymous said…

    P.S. この写真、すごくいい!

     
  • At 11:53 AM, Blogger Megumi said…

    そのメンデルスゾーンの曲、私も聞いてみたいな。

    「それぞれ個人の世界の中で生きていて、
    共有できるものはそんなに多くない。」

    そうかもね。共有してるものって、実際言葉ではないものの比率が多かったりするかもしれないし。

     
  • At 3:54 PM, Blogger Yoko said…

    言葉を超えたい言葉好きさん、
    言葉には定義があるのに、それでもなお、限定できないんだよね。
    人間は共有できない部分が沢山、ほとんどだから、定義とか、言葉とか、共有できるものを持とうとするのかね。
    音楽は世界語だという人がいるけど、それぞれが違うイメージで演奏していたとしても、その波動を共有することができること、これが魅力なのかもね。

    めぐちゃん、
    共有してるって勝手に思いたいのかも。
    たとえば、日本人同士だったら、同じ言葉を共有とかさ。どこかにつながってるって感じたいのかも。
    実は非常に孤独な一つ一つの存在なんだけど。

     

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