Yoko's Graduate School Experience U.S.A.

中学校・高校で音楽と国語の教師を5年勤めた後、念願の留学が2005年に叶いました!これは彼女のアメリカ大学院生活の体験日記です。

Friday, November 11, 2005

YOKOってなに?


今週も比較的暖かいミシガンです。
でも、木の葉はほとんど散ってしまいました。
キャンパスのところどころに、もっさりと木の葉が機械で集められてます。


ともかく今週はディベートが終わった。
これにつきます。

水曜日と木曜日の授業であったんだけど、火曜日は自分のチームの人と朝の4時半まで準備しとったなあ・・・
ルームメイトに連絡せずに大学の女子寮で準備してたから、ルームメイトがすごく心配しキャンパスをあちこち探して、それでも見つからないっていうことで、キャンパスセーフティーの人にも依頼したようで

「YOKOってひといませんか?」

ってな感じで人探しされていました。

「わ、わたしですけど・・・」

って手をあげたら、トランシーバなどなどで

「YOKO、確保しました」

みたいな。。。

しまいには、私もずうずうしく勉強が終わったら家まで送ってほしいとお願いし、無事朝帰りしました。


果たして、ディベートは   と申しますと、
中絶に反対のチームの論旨は「胎児の命、生きる権利の重要性」
われわれ、賛成側の人間の論旨は「生む生まない、いつ生むは女性が選ぶ事ができる権利だ」
で平行線です。

木曜日には大学付属の高校から高校生でESLに興味のある生徒たちが見学にもきていました。わたしのチームは台湾人・韓国人・日本人チームだったから、傍目には同じ国の人に見えるみたいで、先生が「アジアの国は言葉が違うから英語でしか相談できないのよ」って説明してましたけど。。。

相手チームが中絶後の胎児をダウンロードしてみんなに配ってたけど、こういうむごたらしい手術にだれも喜んでしてるわけないって思いません!?でも選択肢として必要だと必死に言ってみました。意に反して、わたしのオーバーリアクションにクラス中大爆笑。だって、いいたいことは山ほどあるんだもん。なのに言葉にならないって本当にもどかしいんだから!!



さて、わたし、今まで YOKOって呼ばれること、ほとんどなかった。
生徒からも「はまちゃん」って呼ばれてたから、ここにきて一番戸惑ったのはYOKOって呼ばれることだな。
日本では苗字で呼ばれるから、無意識に家族に属しているって感じがするじゃない。
どこの何者なのか って呼ばれながら確認してる。
もちろん、ここに来て気づいたから、日本じゃ意識したことないけど。
でもここではそうじゃなくて、あなたはいったい誰なのか、が先にきてる。
29年間も日本で生活して、体にそういう感覚が染み付いちゃってるでしょ。
しかも、今は言葉で自己表現できないじゃない。
すべて剥ぎ取られて、裸で勝負させられているような感覚なのよね。
YOKOって一体何者なのかなとよく考える。
私が発している言葉にならない何かに対して感覚を研ぎ澄ませてるような、そんな感覚。
この数ヶ月で学んだ事の中で大きいのは 相手のふところにきっちり入っていくこと だな。
結局、素の自分が試されてんだな。

もう、本当に今週は色々あったんだから!
やんなきゃいけないことに押しつぶされそうになって、涙が止まんなくなったり、人のやさしさに触れたり。
そう、わたし、こういうことがしたくてここにきたんだよね。

って、オーケストラの練習で思いっきりクリスマスチックな曲を演奏してる中、バスクラだからお休みの場所が多くてこんなことをふと考えてました。

また来週~
今週末はデトロイトに行ってきます。

3 Comments:

  • At 12:28 AM, Anonymous Anonymous said…

    Debateが無事に終わったようで、良かったです。Debateで自分がとる立場は自分で選べたの、それとも、先生にどっちの立場で反論しなさいと言い渡されたの?

    Yokoがアメリカに行って、家族の一員としてではなく、「自分」一人の存在としてIdentityを築いていくことに驚いていることに逆に私は驚いたよ。そういう戸惑いもあるんだね。私はその逆だったから、アメリカで「自分」があったのに、日本の社会に入ったことによって、「自分」てものがもみ消されていく感覚があって、違う意味で苦しかったの覚えてるよ。

     
  • At 12:46 PM, Anonymous Anonymous said…

    私もアメリカに行って、もう一度大学生になってつくづく思いました。「ああ、ここでは私は○○さんの奥さんじゃなく、○○ちゃんのおばちゃんでもなく、私なんだなあ。」って。家族以外の人からファーストネームで呼ばれるのは、とても新鮮で嬉しかったのをよく覚えています。だから、Yokoさんの気持ちわかるような気がします。
     そうか、考えてみればRobynにとっては、その反対の経験だったんだよね。それは確かに「感激」ではなくて「苦痛」だよね。

     
  • At 12:16 PM, Blogger Yoko said…

    Robyn
     おわったおわった!!!ほっとしとるよ。って思ったら、いろんな提出物やテストがわんさか私を待っているらしい・・・。サンクスギブンの休みはこれらに追われるのか!?いやだ!!!ってわけで、やり始めました。どうぞ終わりますように。
     最近ようやく「YOKO」=自分なんだなって認識し始めてる。最初はすごく変な感じだったけど。自分じゃないみたいで。でもなんかすごくあいまいじゃない自分が存在してるんだよね。不思議。やっぱ、その逆をいったRobynってすごいわ。中学の時にさあ、やまちゃんと二人で「はたしてRobynはどんな状況でどんな気持ちなのか」を理解しようとがんばったけどできなかった。当然だよね。今だって、あのころよりは想像できるけど、苦しかっただろうね、半端じゃなく。。。

    Futaさん、
    まじで、家族さえあんまり「YOKO」ってよばないから、気持ち悪いくらいでした、最初。ようやく、人から名前を呼ばれて、微笑んで返事ができるようになってきたかな。「はまちゃん」ってよんでくれとお願いしたこともあったけど、「どうして最初から本名を言わないんだ!」とかいわれて、、、だから、本名はYOKOだけど、はまちゃんってよんでほしいの!!みたいな感じでした。もう、、、あやうく「はまこ」になるところでした。

     

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