
私がクラリネットを教えている、神学生の
ソン・ジンについて。
彼の印象、ひとことで言いますと、
「かしこい」に尽きます。
音楽に強い憧れがあって、
何か楽器が演奏できるようになりたい!って思って、吹いたこともないクラリネットを数年前帰国する友人から譲り受けたのだそうです。
大人になってから何か楽器を習うことってのは、
頭で先に理解する分、それがなかなか形として現れなくて苦しいものだと思います。
たとえば、幼稚園生が、
右手と左手、
全く違う音を演奏するのを
数週間で何とか違和感なく出来るようになったとしても、
大人は個人差はありますが倍以上かかったりしますよね。
彼の
情熱には頭が下がります。
なにより、すでに頭の中に音楽があるなあって感じます。
人間的にもかなり面白い人で、
彼の「忙しい人生」について話してくれました。
12月に卒業なのですが、
「韓国に帰る前に3ヶ月ヨーロッパを旅行します。
こんなに長く旅行できるチャンスはもうないと思うので。
韓国に帰ったら、僕は忙しいですよ。
まず、お見合いして、結婚して、両親のために沢山の子どもを持ちます。
そして、奥さんになる人の了解が得られたら、
同じ民族である北朝鮮の人々のために伝道したい!」
立派じゃないですか!!
さらに、彼は英語で説教するし、図書館で働いているし、
英語での生活には困っていないようなのに、
「Yoko先生、わかります、言葉っていうのはとても大切なものです。」
そんな会話の中で、彼のおばあさまは日本語が話せるし、
日本語名があるっていう話になりました。
ソンジンや私が、母国語ではない英語で苦しむのは、望んでこの環境に挑んでるから、
至極当然なことで、苦しみにきてるといわれても当然なんですが、
韓国に限らず、自分の意思以外で、
母国語を禁じられ、外国語を使うことを強制された人たちってのは
どんなに悲痛な思いであっただろうかと思います。
こういうことが、
戦争に 勝つ・負ける、 占領する・されるってことなんだと思うけど、
そういった意味では、1度だって外国語を強制されたことのない
特殊な環境にいる私たち日本人は、
英語に強い憧れとか妙なコンプレックスがあるよな。
だって、日本にいて、英語が話せないと困る状況なんてないじゃないですか。
話せないほうが普通でしょ!?
だって、使う必要ないもの。
最近思います。
日本人は英語が出来ないっていいますけど、そこの人、
日本国内では日本語だけで困ることがないほど、この言語かなり効率がいいんです。
ただ、現実として日本をでると通じません。
日本人はどうして、取り入れることにばかり力を入れて、
この国や言語を売り出さないのかな?
多分、この特殊環境にいる私たちのことを正しく理解されてないから、
近頃、
「どうして、あなた達日本人は
効率の悪い漢字なんて必死に覚えるの?(アルファベットは26文字だけどちゃんと言語として機能してるのに!)」
「
中・高・大学で英語を勉強してるのにどうして話せないの?」
って聞かれるんだと思った。
1番思うのは、そりゃあ、中・高で英語の勉強はしたけど、
教室の中だけでしたから。
さらに、英語で自己表現したり、自分の国の事を勉強してこなかった。
英語の教科書に載ってる話題って外国のおとぎ話とか、外国の紹介とかじゃなかった?
’ハンプティー ダンプティー’とか、
やったような。
いったい日本文化ってどこでどうやって学ぶんだろう?
自分でやっておけって!?
必要性に気づいてなかったから、しなかったなぁ。
学校では・・・「社会」?
文化って面じゃ弱い気がする。
もしかして「音楽」?
そういえば、民謡とか、歌舞伎、能は教材として扱ってた。
私、「こんなに素晴らしいんですよ、日本ってのは!」って宣伝したいですよ。
日本語であろうと英語であろうと、その辺の知識がなさ過ぎる、私。。。
だから、お国代表として日本をアピールできる人材に自分は育っていない。
韓国とか、台湾人が、ともかくめちゃくちゃな英語でも話そうとするのは、
国民性が違うのもあるけど、
英語でそういう訓練をしたんじゃない?
なにはともあれ、自分がJapanese-Englishなり、それなりに話せるようになって、
日本人=おとなしい、自己主張がない、 ちょいとミステリーな感じあるいは存在感がないってな、実は誤解されてる不名誉なイメージを払拭したいわ。
てなわけで、長ーくなってすみません、
レッスンしてるのか、英語のレッスンされてるのかよくわかりませんが、
ソンジンが帰国するまでの数回のレッスンが楽しみです。
私の第6感が、このソンジンって人が、将来、韓国で
とても大切なミッションを背負っていく人物になっていくと予告してます。